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「円舘工芸舎の歴史」

 

岩手県久慈市大川目町三日町にあった大川目鉱山(金鉱)から始まる。鉱山閉山後の昭和20年ごろ、空き工場に木工ろくろ設置し、山形県から鎌田茂八氏や会津若松から師匠・山口等氏が製造を始める。父・円舘功は、小学校卒業後入社し木工ろくろ職人の見習いとして働く。

後の昭和22年に久慈市山根に移住。この地に祖父・円舘力蔵(1904-1960)と父・円舘功が小さな小屋建て、水車を動力として木工ろくろを続ける。
昭和24年に岩手県岩泉町安家へ移転。発動機を利用した木工ろくろを再開する。
昭和27年、工場を新設し、昭和31年から製材所を設ける。

昭和36年、祖父・円舘力蔵が亡くなり、翌年の昭和37年に工場を閉鎖する。

 


 

昭和42年5月、北海道網走郡津別町相生へ家族5名で移住。父と母は、阿寒民芸で4年間雇われる。阿寒民芸では、欄間やアイヌの子刀などの民芸品を製造していたが、木工ろくろを設置され、茶筒や茶がめの制作をした。

 

 

 

 

 


昭和46年8月、北海道美幌町稲美に移住し、円舘工芸舎(美圓)を起業。功と妻・貞子の2名で経営する小さな工房でした。この時、息子3兄弟は、木工ろくろを父から見よう見まねで教わる。

写真中央の平屋は、住宅。右の小屋が工場です。 


 

昭和48年10月、美幌町稲見から日の出へ移り、工房を広げ、数年後、息子たち3名が家業を継ぎ、現在に至る。


 

昭和58年9月、工房を増築。以前の工房の2倍以上の広さがあり、量産体制を整えました。

また工房の屋根には、八角形の形をした多角面ドームの天体観測所を設置しました。